海外の事例に見る、統合報告書のトレンド
統合報告書の英語版レイアウトの仕事をさせていただく中で、最近気になることがあります。それは、日本企業の統合報告書の構成やデザインがどことなく画一的で、しかも、読みにくいものになっていないか?ということです。日本企業の統合報告書の構成やデザインを海外のものと比べると、見やすさや理解しやすさの面で劣っているものが多いように思えるのです。そのことは、英語版にした時により顕著に現れます。海外IRを重視する企業であれば、これは憂慮すべき事態ではないでしょうか。そこで、今回は、海外企業の事例を参考に、統合報告書の見せ方のトレンドについて検証してみました。
日本企業は、井の中の蛙になっていないか?
最初に統合報告書(integrated report)を取り巻く世界事情をおさらいしてみましょう。そもそも統合報告書を通じたステークホルダー・リレーションズというのは、世界共通のものなのでしょうか? 一橋大学大学院の藤田勉客員教授のコラム「なぜ、日本では統合報告書が重視されるのか」*によると、「日本企業の時価総額上位企業のほとんどは統合報告書を発行している一方、先進国の時価総額上位20社(米国18社、欧州2社)のうち統合報告書を発行している企業は、ノボ・ノルディスク(デンマーク)のみ、と普及率が低い(2023年7月末)」といいます。同氏によると「米国では時価総額上位10社の中で法定開示とは別に統合報告書を発行している会社はなく」、「欧州で統合報告書を開示している企業は、2022年時点で600社前後」といいます(日本企業は同じ時点で884社)。つまり、実績だけ見れば、日本企業は、統合報告書を通じた情報開示において世界をリードしていると言えます。しかし、同じコラム内には、「日本企業の統合報告書の情報の品質は、世界10ヵ国の国際比較で下位に属するとの調査報告がある」という指摘もあります。
統合報告書の内容に関して重要な指針になっているのは、2013年に国際統合報告評議会(IIRC)が公表(2021年に改訂)した「国際統合報告〈IR〉フレームワーク」です。IIRCは、サステナブルな投資報告のガイドラインづくりを行うオランダの非政府団体が母体となって発足した国際的非営利団体で、現在、拠点はロンドンにあります。このことからも推察できるように、このフレームワークは、気候変動に敏感な欧州諸国の考え方をより色濃く反映していると言えます。
一方、米国では、証券取引委員会(SEC)が提出を義務付けている各種の年次や四半期の報告書があり、その中で非財務情報の開示も求められています。民主党政権下でESG関連の取り組みが以前より積極的になってきたとは言え、米国企業が欧州主導の統合報告フレームワークに倣う必然性はほとんどないのが実情でしょう。ちなみに、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の賛同者・機関数に関しても、日本が全体(4,711)の30.1%と国別最多となっている一方、米国は国別10.4%(3位)と日本の3分の1ほどしかありません(2023年7月25日現在、2位は英国の11.1%)。「〈IR〉フレームワーク」がグローバルな枠組みであることに議論の余地はありませんが、はたしてそれが持続性のある「グローバル・スタンダード」なのかと言えば、疑問が残ります。上述の藤田客員教授は、同じコラムの中で次のように論じています。
世界の上場企業の情報開示量は大きく増加しているが、これらの膨大な情報を誰が使うのか、というのは大きな論点である。統合報告書は、基本的に投資家のためにつくられる。ただし、年に一度程度しか開示されないのでタイムリーではなく、かつ一般的な情報を網羅することが多いので、証券の売買の判断にはさほど有用でないと考えられる。
〜中略〜
統合報告書の最大の問題点は、その量は多く、投資家がすべてを使いこなすのが難しいことである。2022年に日本企業が発行した統合報告書の平均頁数は75ページである(出所:KPMG)。これを数百社読みこなすのは、現実的とはいいがたい。
これらを総合すると、世界的に資産運用のパッシブ化が進むにつれて、資産運用における統合報告書のニーズは減っていくものと思われる。
*出典:公益財団法人資本市場研究会『月刊 資本市場』2023.9(No.457)コラム「なぜ、日本では統合報告書が重視されるのか」(一橋大学大学院客員教授・藤田勉氏)
藤田客員教授は、それでも統合報告書の発行には大いに意味があると締めくくっています。その理由として挙げられているのは、統合報告書が大株主や社員、顧客、取引先、金融機関などの少数の重要なステークホルダー向けにわかりやすい表現で書かれている点、そして、自社のサステナビリティやDE&Iの考え方を整理し、組織全体に浸透させる役割を果たしている点などです。その点については大いに同意できますが、企業IRレポートの制作に携わったり、海外企業のレポートに接する立場から感じるのは、日本企業の統合報告書の作り方──全体の構成や各ページの構成・レイアウトなど──が、読み手を無視した、近視眼的なものになっていないか?ということです。上述の「自社のサステナビリティやDE&Iの考え方を整理し、組織全体に浸透させる役割」は、本来、副産物的な効果であり、そのために多額の予算をかけて統合報告書を制作するのであれば、それは本末転倒のように思えます。
筆者の経験では、IR支援の制作会社やコンサル会社などは、定期的なIR情報発信をサポートする際、既成のフォーマットに当てはめようとする傾向があるように思います。「このページはこういう構成なので、この情報とこの情報を載せるべき」といった既成概念のためにページに情報が溢れ、結果的に情報が掴みにくいといったことが往々にしてあります。制作会社としても既存のフォーマットに当てはめた方が仕事として「楽」なのは確かです。しかし、今一度、読み手にとっての分かりやすさや使い勝手の良さという視点に立って、報告書を発行する企業自体が今一度その「見せ方」について見聞を広め、検討すべきではないでしょうか。
海外のレポートに見られる、いくつかの顕著な傾向
国際統合報告評議会(IIRC)のウェブサイトには「Example Database」という、統合報告書の良い実例を掲載するページがあります。ところが、ここに掲載されている事例は、このコラムを書いている時点(2024年10月)での最新事例が2020年版のレポートとなっており、3年以上も更新されていません。最近のトレンドを知るには、少々時代遅れです。そこで、今回は、国際金融公社(IFC)が2023年秋に立ち上げた「Beyond the Balance Sheet」というウェブサイトに掲載されている統合報告書の事例を見てみました。世界銀行グループに属するIFCは、途上国の民間セクターへの投資支援や技術支援などを行う国際機関で、「Beyond the Balance Sheet」は、財務情報と非財務情報の統合を開始する新興市場企業向けに統合報告の理想的な形を指南するために設けられたガイディング・プラットフォームです。
このサイトの「Took kit」というセクションには、以下の4つの大項目ごとに細目を分け、それぞれに含むべき要素とその事例が紹介されています。
- Governance(ガバナンス)
- Strategy(戦略)
- Risks, Impacts and Opportunities Management(リスク・影響・機会の管理)
- Performance, Metrics and Targets(業績、指標、目標)
「価値創造ストーリー」や「価値創造の基盤」は、海外では一般的でない⁈
ここに掲載されている海外のレポートを見ると、日本企業のものとは少し異なる、いくつかの傾向が見えてきます。まずひとつは、日本企業の統合報告によく見られる「価値創造ストーリー」に相当する枠組みがほとんど見られないこと。 IIRCが提唱するいわゆる「価値創造モデル」については、「How We Create Value」といった形で多くの企業が掲載していますが、価値創造の中長期的プロセスについて一定の時系列でまとめようとする「ストーリー」的な見せ方は、あまり見受けられません。日本企業の場合、時に歴史を紐解いたりしながら、過去から未来までをひとつの「ストーリー」と捉える展開がよく見られますが、海外の事例では過去の蓄積よりも、今現在の「戦略」を明確にする──そんな傾向を感じます。ちなみに、「価値創造ストーリー」という表現は、日本企業の英語版統合レポートで「Value Creation Story」とされていることが多いですが、そのフレーズでGoogle英語版を検索してみても、上位に表示されるのは日本企業ばかりです。
同様に、日本企業がセクションタイトルとしてよく使う「価値創造の基盤」にあたる「foundation for value creation」といったフレーズを使っている企業も、海外にはあまりないようです。「価値創造の基盤」という日本語は、その言葉からすれば、IIRCが提唱する「6つの資本」を指すのが自然と思えますが、現実には、ESGへの取り組みやそのための体制に言及するために使われていることが多いようです。このようなセクション分類も日本企業に特有のように思えます。実際、IIRCの「国際統合報告フレームワーク」の中にも、「価値創造の基盤」や「価値創造ストーリー」にあたる表現は見られません。
ガバナンス体制については、日本企業の多くがその説明を「価値創造の基盤」のセクション内に含めているのに対し、海外では、コーポレート・ガバンナンス自体をひとつの大きなセクションとしている例が多いようです。そのことは、上述のIFC(国際金融公社)のガイディング・プラットフォームで、4つの大項目のひとつに「Governance」があることからも伺い知れます。
海外では横型が主流になってきている
次に挙げたいのは、ここ数年の最も顕著と思われる傾向で、レポートの形状が横型になってきていることです。正確に数えたわけではありませんが、IFCのプラットフォームで紹介されている実例では、半数近くが横型という印象です。理由の第一に考えられるのは、これらのレポートが印刷〜製本を前提としておらず、オンラインでの閲覧を前提にしていることです。パソコンやタブレットの画面で見るのであれば、縦型より横型の方がはるかに読みやすいはずです。日本企業に多いA4縦サイズ見開き(A3)だと、本文などの細かい文字は画面を拡大しないとほぼ読めません。説明会でのプレゼンや動画配信を考えても、横型の方が画面表示に適しています。
前述のように、日本企業の統合報告書の平均頁数は75ページほどですが、諸外国では200ページを超えるものが珍しくありません。そのため、印刷物を手に取ってページを繰るというよりは、知りたい情報だけを素早く見れるようにするという考えが前提になっているのでしょう。したがって、海外の横型の統合報告書PDFには、ほぼ例外なく各ページにインデックス(目次)が付いており、見たいセクションにすぐに飛べるようになっています。また、前頁・次頁へのリンクボタンのほか、いわゆるハンバーガーメニュー(目次ボタン)やホームボタンが設けられているものも多く、ウェブサイトに近い、操作性・機能性を重視したつくりになっています。
横型ページは、〈IR〉フレームワークの推奨項目である価値創造プロセスを説明する際に用いられるオクトパスモデル(いわゆる「価値創造モデル」)のレイアウトにも適しています。価値創造モデルでは、図の左右の中央部分にチャートの円の中心が来るのが一般的ですが、縦型見開きページだと、ちょうどその部分が冊子のノド(綴じ部分)に来てしまいます。印刷〜製本をする際、テキストや意味のあるグラフィックをノドに配置することは避けるべきなので、デザイナーとしては頭を悩ますところです。和文の場合は1字単位で字間調整できるのでまだ良いのですが、英文では単語の真ん中を割ると不自然なため、こういったページレイアウトは非常に扱いにくく、その結果、出来上がったページも窮屈で読みにくいものになりがちです。
元来左から右への流れで示す「インプット」→「ビジネスモデル」→「アウトプット」→「アウトカム」のプロセスは、物理的に縦よりも横への広がりの方が大きくなります。当然、そういった要素を配置するには、縦型よりも横型の方が理にかなっています。単一ページに収めるにせよ、横長の見開きにレイアウトにするにせよ、無理なく配置できるため、読み手にとっても分かりやすいものになります。
さらに言えば、画面上の閲覧だけを考えるならば、価値創造プロセスの流れは必ずしも「左から右」である必要はありません。上から下にすることもできます。下の例は、IFCのガイディング・プラットフォームに好例として紹介されていたドイツの総合化学メーカーBASFの統合レポートのページですが、このような上から下への流れでも違和感はないどころか、むしろ分かりやすく感じます。既成の概念に捉われず「価値を創造するための流れ」として柔軟に考えれば、このような見せ方もできるはずです。仮に印刷〜製本が必須という場合に、横型だと印刷(用紙)コストが割高になると思われるかもしれません。しかし、ページの長辺を綴じ部分にして、上下に開く形にすれば、印刷コストは通常のA3見開きと同じです。
BASFの場合、PDFのレポートだけでなく、ウェブ上つまりHTMLでのプレゼンテーションも充実しています。ウェブというメディアの特性を活かして、動画やインタラクティブな動きを設けるなど、ユーザーがより直感的に情報にたどり着きやすい工夫がなされています。
日本を拠点にする企業でも、外国の資本が入っている企業、たとえば、武田製薬や3Mジャパングループなどは、既にそういった形のレポートを発行しています。(ただ、そういった外資系企業の場合、和文書体の扱いにぎこちなさを感じることはあります)
海外の優良事例を見ていると、IR/サステナビリティ情報の開示・情報発信は、今後ますますインタラクティブなユーザーオリエンテッド(ユーザー重視)なものへと向かっていくように感じます。
※ヘッダーのサンプル画像は、この記事用に独自にデザインしたものを使用しています。
デザインクラフトでは、英文アニュアルレポート/統合報告書、英文パンフレット/ブロシュアのデザインのほか、和文から英文への差し替えレイアウトなどのご相談も承っております。企画からライティング、翻訳、デザイン〜DTPまで、ワンストップでの対応も可能です。詳細をお知りになりたい方は、Contactよりお気軽にお問い合わせください。
Author
デザインクラフト代表。クリエイティブディレクター/翻訳者。海外広報専門の制作会社に12年在籍し、大手広告会社、証券系IR会社、電子部品メーカー、金融機関、経済メディア、官公庁、国際機関、在日大使館などを主要クライアントとして英文広報・IR関連のクリエイティブ業務・翻訳業務に携わる。2008年に現事務所を立ち上げ、以来、京都を拠点に多言語でのPR/IRクリエイティブの企画・制作と翻訳業務を続けている。
『新標準・欧文タイポグラフィ入門 プロのための欧文デザイン+和欧混植』
『ハリウッド映画の実例に学ぶ映画制作論 - BETWEEN THE SCENES』
『PICTURING PRINCE プリンスの素顔』