「安全・安心」──その使い方に要注意!?
英訳は “safe and secure”で本当にいいの?
「安全・安心」─
その使い方に要注意!?
英訳は “safe and secure”で本当にいいの?
ここのところ「安全・安心」(または「安心・安全」」)という言葉を毎日のようにニュースで耳にします。欧米メディアは、東京オリンピック関係者の答弁について、「"safe and secure" Tokyo Olympics」と、皮肉まじりにもとれる引用符を使って報じています。日本語として今や成句になった感のある「安全・安心」ですが、「safe and secure」という英訳が常に当てはまるとは限りません。
不安な世相を反映したセットフレーズ
日本で「安全」と「安心」がセットで使われるようになってきたのは、1990年代後半頃と言われています。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、2000年代に入っての同時多発テロ、さらには東日本大震災や異常気象による水害、そして新型コロナパンデミックなど、確かに90年代半ば以降、国民の安全を脅かす天災・人災が増えてきたように思えます。加えて、企業活動においてもSDGsやESGへの関心が高まり、ステークホルダーの安全担保が欠かせなくなってきています。このことも、この成句浸透の背景にあるかもしれません。
この「安全・安心」の英訳としてよく使われるのが「safe and secure」です。英語の場合も日本語と同様、「safe」と「secure」がセットでよく用いられます。明確な根拠があるわけではありませんが、このフレーズも90年代後半からより頻繁に使われるようになった気がします。これは、インターネットやオンラインビジネスの急速な広がりと無縁ではないでしょう。
「安全」と「安心」の違い──「安心」は主観的な言葉
和英辞典で「安全」(形容詞)を調べてみると、まず筆頭に出てくるのが「safe」です。他にも「protected」「unafraid」「secure」「untroubled」などの選択肢はありますが、「安全」を「safe」と訳すことにほぼ異論の余地はないでしょう。一方、「安心」はどうでしょうか? 「reassured」「relieved」「untroubled」「secure」などが出てきますが、これで決まり!というような単語はありません。そもそも「安心」という日本語は人の心の持ちようを表す主観的な言葉(元々は仏教用語)であり、何に対してどの程度心の平安を得るかはその人次第です。この微妙なニュアンスを持つ日本語と全く同義の英単語は、ほぼないと言っていいでしょう。強いて挙げれば(単語ではありませんが)「peace of mind」といったところでしょうか。他方、「安全」は、ある程度、客観的・物理的な判断が可能です。「安全を脅かす」とは言っても「安心を脅かす」とは言わないことを考えても、この二つの違いは明確でしょう。
そもそも「安心」という名詞に「な」を付けて形容詞にすること自体、日本語としては不自然です。「安全な大会」とは言っても、「安心な大会」とは言わないはずです。「国民が安心して迎えられる(ような)大会」とか「安心できる(ような)大会」などと言うべきでしょう。(ここで「ような」を付けた方が日本語としてより適切に聞こえるのは、先に述べたように「安心」は人によって感じ方が異なるからでしょう)
「safe」と「secure」の違い──「secure」の方が意味が狭い
この日本語の違いを踏まえた上で、英語の「safe」と「secure」の違いを見てみましょう。「safe」が日本語の「安全」とほぼ同義であることは上に述べた通りですが、「secure」の方はどうでしょうか? 仮にこの形容詞を単純な日本語単語一つで訳すとすれば、やはり「安全」が最もふさわしいと思えます。とは言え、「safe」と「secure」のニュアンスは同じではありません。二つの単語は、単純に言い換えられる場合もありますが、言い換えられない場合も多々あります。この二つの単語を定義すると次のようになります。
"Safe"
・あらゆる災難や事故・脅威(主に意図的でないもの)から守られている状態
・幅広いケースに用いられる(日本語の「安全」とほぼ同義)
"Secure"
・犯罪や外敵などの意図的な危害から守られている状態
・主に場所や情報などの安全性に言及する場合に用いられる
例えば、英語で「safe and secure Olympics」と言った場合、「safe」はウィルス感染を含むあらゆる災難・脅威から守られていることを指しますが、「secure」の方は、犯罪行為やテロなどの危害から守られている状態を指していると考えられます。実のところ、日本政府や日本の大会関係者が言う「安全・安心」とは少し意味が異なるのです。ただ、「safe and secure」と言うことで、「safe」だけの場合よりも、よりしっかりと守られているニュアンスが出ます。その結果として、言外の「安心」につながると言えなくもありません。
「安全・安心な製品」はどう訳す?
日本では、2000年代以降、企業の管理・倫理の欠如による食の安全(food safety)が大きな社会問題となりました。これもまた「安全・安心」という成句浸透の要因と考えられます。近年は、食品に限らず、さまざまな企業が「安全・安心な製品/サービス」の提供を会社案内や統合報告書、経営計画資料などで唱えています。このような場合、この「安全・安心な製品/サービス」の英訳は何とすべきでしょう? 文字通り「safe and secure product(s)/service(s)」と訳して良いでしょうか? 仮に、その対象製品/サービスが金庫であったり、保険商品であったり、オンラインサービスなどであれば「safe and secure」で問題ありません。しかし、それが食品や消費財などの場合は不自然な英語になってしまいます。食品や消費財によって健康を害する危険性はあっても、「secure」という語が保障するような意図的な犯罪に巻き込まれるケースはまず考え難いからです。
それでは、食品などの場合、「安全・安心な製品」は何と訳せば良いでしょう? 日本語の「安心」に近い意味を尊重して、「safe product that brings peace of mind」などとすべきでしょうか? ハーブティーなどの癒し効果をもたらしてくれる製品なら、これで良いかもしれません。しかし、そうでもなければ、この英語だと、ちょっと不可思議な製品に思えてしまいます。このような場合にお薦めする(=実際に英語圏で使われている)のは、日本語の逐語訳にとらわれず、単に「safe product(s)」とすることです。製品が「安全」であれば、日本語で言うところの「安心」は自ずと担保されていると考えられますし、そもそも日本語の「安心」にピッタリ当てはまる英単語はないわけですから。
食品に関して「安全・安心」が成句で使われるようになったのには、直接危険につながる安全性以外に、一時期不祥事が相次いだ産地偽装などの問題もあるかもしれません。そういったニュアンスまで含ませたい場合は、確かに「safe」だけでは不十分でしょう。であれば、例えば「safe and reliable」などとすれば、意図したニュアンスを含ませることができます。
ちなみに、先の「安全・安心なオリンピック」の場合は、「secure」とも「reliable」ともニュアンスが異なります。こちらは「safe and worry-free Olympics」などとすると、本来のニュアンスに近くなると思います。「安全・安心」に限らず、一つの単語や成句に対する訳語が常に同じとは限りません。前後の文脈やその背景もよく理解した上で、最も適切な訳をあてることが大切です。
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Author
デザインクラフト代表。クリエイティブディレクター/翻訳者。海外広報専門の制作会社に12年在籍し、大手広告会社、証券系IR会社、電子部品メーカー、金融機関、経済メディア、官公庁、国際機関、在日大使館などを主要クライアントとして英文広報・IR関連のクリエイティブ業務・翻訳業務に携わる。2008年に現事務所を立ち上げ、以来、京都を拠点に多言語でのPR/IRクリエイティブの企画・制作と翻訳業務を続けている。
『新標準・欧文タイポグラフィ入門 プロのための欧文デザイン+和欧混植』
『ハリウッド映画の実例に学ぶ映画制作論 - BETWEEN THE SCENES』
『PICTURING PRINCE プリンスの素顔』