決算短信や説明会資料に特有の 英訳に気を付けるべき言い回し
2024年2月、東京証券取引所がプライム市場上場企業の決算情報等について、2025年4月をめどに日英同時開示を義務化すると発表しました。ただでさえ直前まで紛糾しがちな決算短信の文書作成ですが、日英同時となると部門間の調整などさらに煩雑になることが予想されます。これを機にAI翻訳の導入を検討される企業も多いことでしょう。しかし、決算関連の日本語には、長年踏襲されてきた独特の言い回しや難解な文体が多くあります。そのような文章をAIがきちんと翻訳できるでしょうか? いくつかの典型的な文例で検証してみました。
「上振れ/下振れ」
決算短信や決算説明会資料で、業績予想に対する結果を示す際によく出てくる表現です。「 上振れ」とは「数値・指標などが 想定よりも上がること」、下振れはこの逆で「想定よりも下がること」です。この表現を使った文を、精度が高いと評判の某機械翻訳エンジン(AI翻訳)で英訳しみました。まずは、パワーポイントの決算説明資料などでよく見られる体言止めのシンプルな文の例です。
【例文】
売上・利益ともに上振れ
【AI翻訳】
Upswing in both sales and profit
【私たちの翻訳】
Both sales and profits were higher than projected.
AI翻訳で使われている「upswing」は、「上向き」「上昇」という意味です。そもそも「Upswing in both sales and profit」のような言い方はあまりしませんが、この訳ですと、売上および利益が「以前よりも増加している」と解釈される可能性が高いです。「売上・利益ともに上昇」=「増収増益」と読めてしまいます。しかし、「上振れ/下振れ」はあくまで予想(計画)に対して多かったか少なかったかを指す表現です。原文に「予想に対して」とは書いていないのでAIにとっては酷かもしれませんが、「上振れ/下振れ」自体に「予想比」の意味が含まれていると解釈しないと、海外投資家に誤解を与えてしまう危険性があります。
上の例のような体現止めの表現は単語数を極力減らして短く収まるようにしてあります。新聞の見出しなどと同様のスタイルですが、こういった文体は言外の意味を解釈するよう読者に委ねる性質があるため、単純に言葉通り訳しても自然な英語表現にはなりません。
次は、決算短信の説明文に出てくるようなセンテンスの形で試してみました。
【例文】
売上の下振れに伴い、営業利益も8,150百万円と343百万円(25.1%)の下振れとなりました。
【AI翻訳】
In line with the downward swing in sales, operating income also fell 343 million yen (25.1%) to 8,150 million yen.
【私たちの翻訳】
As a result of lower-than-expected sales, the Company recorded an operating income of 8,150 million yen, 343 million yen (25.1%) lower than projected.
こちらのAI翻訳には、先の体言止めのもののような「ぎこちなさ」はありません。ただ、「下振れ」の訳はどうでしょうか? 「downward swing」という英語は「downswing」や「downturn」とも言い換えられますが、「下降(傾向)」の意味です(「上昇」の場合は、「upward swing」「upswing」「upturn」などとなります)。元の日本語は、売上高が「予想(計画)よりも少なかった」ことを言っているのですが、AI翻訳の英文だと売上高が「今までより減少している」と解釈される可能性が高いです。たまたまそれが事実の場合もあり得ますが、この文の主旨はそういうことではありません。当初計画よりは少なかったが以前よりは増加しているといったケースもあるわけで、そうなると致命的な誤解を与えてしまいます。
私たちのバージョンでは、「expected」や「projected」といった単語から、「計画比」であることが明確になっています。また、この訳文で、私たちは能動体を使いました。日本語の決算・財務関連の文書には受動態の文章が多いですが、受動態の多い文章は冗長で「まどろっこしい」と感じられることがあります。内容が頭に入ってきにくい上、受動態特有の客観的なトーンからお役所的な冷たい印象を与えてしまうこともあります。経営方針など将来の方向性を示すような文章に受動態が多く用いられているとどこか「他人ごと」のようで、主体性の感じられない企業という印象を与えてしまうかもしれません。
このほか、決算短信や統合報告書などでは、経況全般について「上振れ/下振れ」が使われるケースもあります。「景気が下振れする」「下振れリスクを抱え」といった例です。この場合については、目標値との比較ではなく、現況と比べて「下方へ向かう」という意味ですので、「downswing」や「downturn」を使って問題ありません。
「着地」
決算関連の文書で用いられる「着地」は、業績の最終的な結果を表す際に用いられる表現です。「最終的に〜という結果に落ち着いた」と言い換えられると思いますが、AIはどう訳すでしょうか?
【例文】
グループ全体では、売上・利益ともに見込みよりもやや高い水準で着地の見通し。
【AI翻訳】
For the group as a whole, both sales and profits are expected to land at slightly higher levels than expected.
【私たちの翻訳】
Sales and profits for the Group as a whole will be slightly higher than projected.
大方予想できた通り、AIは「land」という単語を使ってきました。動詞としての「land」には、文字通りの「着陸する」「上陸する」という意味以外に、「獲得する」「勝ち取る」という意味もありますが、「最終的に〜という結果に落ち着く」といったニュアンスはありません。この場合の「着地」のニュアンスは英語の「settle」に近いと思いますが、業績数値に言及するこの種の文章では、「〜(という結果)になった/なる」と解釈するだけで十分でしょう。
「予算未達/過達」
「 未達」は、事前に設けた一定の 目標に達しなかったことに言及する言葉です。決算関連の文書では、売上や利益の目標に届かなかった際に用いられています。逆に目標を超える数値になったときに用いられるのが「過達」ですが、いずれも日常の話し言葉ではあまり用いられない表現です。AIは正しく翻訳できるでしょうか?
【例文】
上期は売上・利益ともに予算過達でしたが、第3四半期はさらなる円安の影響で売上低調となったため、当四半期連結累計期間では売上・利益ともに未達となりました。
【AI翻訳】
Both sales and profits were over budget in the first half of the year, but sales were weak in the third quarter due to the further depreciation of the yen, so both sales and profits were below budget in the first half of the year.
【私たちの翻訳】
Both sales and profit exceeded the targets in the first half of the year, but sales were weak in the third quarter due to the further depreciation of the yen. As a result, both sales and profit for the cumulative total through the end of the third quarter fell short of targets.
「過達」「未達」の意味はAIもきちんと認識しているようです。ただ、この例文の場合、別の箇所で誤訳がありました。「当四半期連結累計期間」をなぜか「the first half of the year」(=上半期)と訳してしまっています。この文の内容は第3四半期終了後のものと理解できますが、AIは「当四半期連結累計期間」という回りくどい言い方に混乱してしまったようです。確かにこの長い熟語は一見して頭に入ってきにくいですが、連結決算に関わる日本語の文章では、売上や利益、期間などの前に都度「連結」という言葉を付けることがよくあります。試しに「当四半期連結累計期間」だけを同じ翻訳エンジンに掛けてみたところ「Cumulative period for this consolidated quarterly period」と訳出されました。この訳自体は正しい解釈ですが、実際の短信の文章に「連結」が出てくる度に「conslidated」と訳出していたのでは、英文がくどくなってしまいます。「連結決算」の話が自明と考えられる場合は、都度「連結」を訳出する必要はないでしょう。
もうひとつAIの訳で、間違いではないものの若干気になる点があります。それは「予算」の訳としてAIが使っている「budget」という言葉です。いわゆる「売上予算」(=売上目標)のことは、英語でも「sales budget」とは言います。ただ、一般的な感覚から言うと、「budget」は経費など支出予定の金額を指すのが通例です。企業財務で売上高や利益目標のことを「budget」と言うことは間違いではありませんが、誰にでも分かりやすい表現を心がけるのであれば、「budget」と言うよりも「target」と言う方が無難です。
長すぎる文
翻訳を担当する立場でいつももどかしく感じるのは、 ひとつの文が極端に長い文章です。日本企業や官公庁の報告書では、長々とした背景説明や理由説明から始まって、最後まで結論(述語)が出てこない文がよくあります。このような論法は日本人の文化的特性によるところが大きいと考えられますが、 結論がすぐに理解できる英文の構造(=文の主語と動詞が最初に出てくる)とは対照的です。次はそのような例を見てみましょう。
【例文】
2023年3月期実績及び現在の経営環境を基に2024年3月期の業績予想をセグメント毎に算出いたしました結果、2022年10月1日付「『中期経営方針2024』数値目標に関するお知らせ」に記載したセグメント毎の売上高、営業利益の予想数値に変動はあるものの、連結売上高、連結営業利益、連結経常利益、親会社株主に帰属する当期純利益は修正しないことといたします。
【AI翻訳】
As a result of the calculation of the forecast for each segment for the fiscal year ending March 31, 2024, based on the results for the fiscal year ended March 31, 2023 and the current business environment, the consolidated net sales, operating income, ordinary income, and net income attributable to owners of the parent will not be revised, although the forecast figures for net sales and operating income by segment as stated in the "Notice Regarding Numerical Targets of 'Medium-term Management Policy 2024'" dated October 1, 2022, will be changed. As a result, the Company has decided not to revise its consolidated net sales, consolidated operating income, consolidated ordinary income, and net income attributable to shareholders of the parent company, despite changes in the projected net sales and operating income by segment as stated in the "Notice of Numerical Targets of 'Medium-Term Management Policy 2024'" dated October 1, 2022.
【私たちの翻訳】
We have decided not to revise our forecasts for consolidated net sales, operating income, ordinary income, and net income attributable to owners of the parent for the current fiscal year at this time. We made this decision in line with our forecast for each segment for the current fiscal year, which is based on the current business environment as well as the results of last fiscal year. Note, however, that the forecast figures for segment-specific net sales and operating income have changed from those stated in the Announcement Regarding Medium-Term Business Plan 2024 Numerical Targets, released on October 1, 2022.
この例では、AIが長すぎる和文に混乱してしまったようです。AI翻訳の前半はおおよそ意味通りの訳になっているのですが、「As a result,」以下でなぜか同じ内容を微妙に異なる表現で繰り返しています。前半も、誤訳とは言えないまでも、非常に回りくどく、理解しやすい英文とは言えません。一方、私たちの翻訳では、和文でひとつの文だったものを三つのセンテンスに区切っています。その上で、文の結論(主語と述語)が最初に出てくることがお分かりいただけると思います。一番重要な情報を最初に、補足的な情報ほど後ろに回す、英語本来のこのような文体であれば、海外の機関投資家もストレスを感じずに要点を掴めるはずです。
ちなみに、上のAI翻訳では、後半部分で「連結」が繰り返し訳出されています。そのため、ひとつ上のセクションで述べた通り、非常に冗長な文章になってしまっています。
「駆け込み需要」
駆け込み需要とは、値上げや販売終了など、消費者にとって望ましくない事態の 発生を前に商品の需要が増加する現象です。消費動向を示す際によく出てくるイディオマティックな日本語表現ですが、AIはきちんと訳せるでしょうか?
【例文】
当第2四半期連結累計期間の売上は、前年6月に実施した一部消費者向け製品の値上げに伴う駆け込み需要の反動により特定の製品の売上が減少したものの、7月に投入した新製品の好調を受け、全体としては前年同期比3%増の195億5千2百万円となりました。
【AI翻訳】
Although sales of certain products declined in reaction to the rush demand for some consumer products following the price increase implemented in June of the previous year, overall sales for the period under review increased 3% from the same period of the previous year to 19,552 million yen due to the strong sales of new products introduced in July.
【私たちの翻訳】
Overall sales for the first half increased 3% year-on-year to 19,552 million yen. Although sales of certain products declined compared to the same period last year, when demand grew rapidly before the price increases of some consumer products implemented in June last year, strong sales of new products launched in July this year offset the decline.
AIは「駆け込み需要」を「rush demand」と訳出しました。オンライン辞書などでもそう記載されていることが多くありますし、通じなくはないのですが、英語圏で広く使われている表現とは言えません。熟語ベースで訳すなら「last-minute spike in demand」などと言う方が一般的です(「spike」の部分は「surge」などでも構いません)。ただ、「駆け込み需要」が出てきた時に、必ずしも逐語的に訳す必要はありません。文脈に応じてもっと分かりやすい表現にすることもできます。私たちの翻訳では文の流れの中で「when demand grew rapidly before the price increases」としました。
上のAI翻訳には、他にも気になるところがあります。「値上げに伴う」が「following the price increase」と訳されていますが、この英語だと、値上げ後もしくはほぼ同時に需要の急増があったように読めてしまいます。実際には「before」となるべきです。
さらに、もうひとつ注意しなければいけないのが「反動」という言葉です。逐語的に訳せば、AIのように「reaction」あるいは「repercussion」「backlash」などで良いのですが、この文の状況はこれらの言葉が表現するものとは異なると考えられます。この会社が値上げを実施したのは前年の6月で、その前に駆け込み需要がありました。今年度上半期はこれらの製品の売上が前年同期に比べて少なかったわけですが、その事実は、「in reaction to 〜」と言うよりも、単に比較の問題ではないでしょうか。昨年6月の値上げ後数カ月の需要減少については「反動」と言って良いと思いますが、1年以上経ってから、「in reaction to 〜」や「repercussion」といった表現を使うのはあまり適切とは思えません。
AI翻訳を使うなら、「ネイティブチェック」よりも翻訳チェックが重要
以上、ほんの数例見てきただけですが、決算関連文書の翻訳をAIに全て任せるのはまだまだ難しい気がします。実は、少し前に、「AI翻訳した決算短信の英文をネイティブチェックしてもらえませんか?」というお問い合わせをいただいたことがあります。これに対して私たちは、「『ネイティブチェック』より翻訳チェック(=誤訳がないかの確認)の方が重要」である旨をお伝えしました。「ネイティブチェック」というのは、なかなか曖昧な用語です。英語を母国語とするスタッフに文章の校閲をさせること自体は私どもでも可能ですが、単に誤字脱字がないかを確認するのか、より分かりやすい表現にブラッシュアップするのか、目的をクリアにしないと齟齬が生じる危険性があります。よく「ネイティブに見てもらえば完璧」のように思われがちですが、そうではありません。英語を母国語とする人の文章能力は、日本人の私たちが日本語に対してそうであるように、千差万別です。英語としての「ぎこちなさ」を感じるレベルも人によって違いますので、「ネイティブチェック」という作業を行う際には、一定の基準を定める必要があります。
そして、翻訳文の場合、実はそれ以前に重要なことがあります。「ネイティブチェック」と言われる作業では、通常、元の和文との照合は行われません。英文だけを読んで、必要最低限の修正を行うというのが一般的です。その場合、上で見てきたような意味の取り違えを見落とす可能性が大いにあります。また、受動態の文を海外の読者により分かりやすい能動態に書き換えるといった前述した作業も、具体的にそのような要望がない限りは行われません(そのような作業は「エディティング」(=編集)となりますので、「ネイティブチェック」が通常意味する「プルーフリーディング」(=校閲)とは別料金になるのが普通です)。つまり、海外投資家がストレスを感じずに読める、間違いのない英文決算文書を作成しようと思えば、「AI翻訳+ネイティブチェック」ではまだまだ不十分だということです。それを実現しようと思えば、やはり決算関連文書の翻訳に関する相応の知識と経験が必要になります。
また、日本語の文章の書き方にも留意が必要でしょう。グローバルなIR活動を意識するのであれば、「英語版=翻訳の問題」と単純に考えるのではなく、次のような点にも留意すべきです。
> 英文にすることを前提にした、分かりやすい日本語の書き方のポイント
1. ひとつの文をできるだけ短くし、結論が文の最初に来るようにする
─ 英語と同じような文体を意識する。
─ 逆接や従属節が伴う場合は、複数の文に分けた上で、主節+従属節の順に述べる。
2. 主語を明確にする。
3. 能動態を用いる。
4. 財務文書独特の慣用的な表現に必然性がない場合は、なるべく一般的な表現を用いる。
5. 「および」「または」などの接続詞は、どの範囲にまで掛かるのかを明確にする。
いずれも日本語の文章として違和感のない範囲で出来る限り実行いただくことで、誤訳の回避や作業時間の短縮(とりわけ、意味の取り違えなどによる差し戻しやりとりの削減)につながりますし、AI翻訳を活用する上でも有効なはずです。
日本取引所グループ(JPX)の「決算短信・四半期決算短信の作成要領等」にも「文章表現は、難解な表現をできる限り避け、具体的に記載する」と記載されています。ただ、翻訳をする側の立場から言えば、日英同時開示を義務化するのであれば、それと同時に、半ば慣習化している決算関連文書の日本語表現の改善についても、JPXの方でもっと積極的・具体的に啓蒙していただけないかと思います。そうすれば、日本企業のインベスターコミュニケーションの「ユニバーサリゼーション」(=誰にとってもアクセスしやすいものにすること)ももっと進むのではないでしょうか。
デザインクラフトでは、英文アニュアルレポート/統合報告書、英文パンフレット/ブロシュアのデザインのほか、和文から英文への差し替えレイアウトなどのご相談も承っております。企画からライティング、翻訳、デザイン〜DTPまで、ワンストップでの対応も可能です。詳細をお知りになりたい方は、Contactよりお気軽にお問い合わせください。
Author
デザインクラフト代表。クリエイティブディレクター/翻訳者。海外広報専門の制作会社に12年在籍し、大手広告会社、証券系IR会社、電子部品メーカー、金融機関、経済メディア、官公庁、国際機関、在日大使館などを主要クライアントとして英文広報・IR関連のクリエイティブ業務・翻訳業務に携わる。2008年に現事務所を立ち上げ、以来、京都を拠点に多言語でのPR/IRクリエイティブの企画・制作と翻訳業務を続けている。
『新標準・欧文タイポグラフィ入門 プロのための欧文デザイン+和欧混植』
『ハリウッド映画の実例に学ぶ映画制作論 - BETWEEN THE SCENES』
『PICTURING PRINCE プリンスの素顔』